「中道」と「中庸」、そして「中途半端」
世に溢れる**「中道」という言葉は、時に危うさを孕んでいる。 それは右と左の数合わせであり、対立を避けるための消去法に過ぎないのではないか。その実態が、どっちつかずの「妥協」であるならば、それは道理から最も遠い「中途半端」**に陥る。
私が求めているのは、そのような安易な平穏ではない。 私たちが目指すべきは、不退転の軸を持つ**「中庸」**の道である。
**「中庸」**とは、過不足なく、道理の真ん中を一本の芯として貫くことだ。 それは、嵐の中でも揺らがない竹の強さであり、お相手との「間」を見極め、一歩踏み込む瞬間に宿る決断の力である。
数合わせの「中道」は、情報の濁流に流されて消える。 妥協の「中途半端」は、大切な局面で己を裏切る。 しかし、身体に刻まれた「中庸」の道理だけは、実体が無くなってもなお、消えないメディアとして存在し続ける。
「言うは易し、行うは難し」
中途半端な言葉を捨て、中庸の行いを選ぶ。 その一歩こそが、嘘の吐けない「中道館」という現場を築く唯一の道である。
中道(ちゅうどう): 現在の政界(中道改革連合など)で使われる、いわば「座標」としての言葉です。外的な状況によって左右される「相対的な位置」を指します。
中庸(ちゅうよう): 四書五経の一つ『中庸』に由来する、内的な「徳」や「軸」を指す言葉です。状況がどうあれ、自分の中の正解を貫く「絶対的な意志」を表現します。
中途半端(ちゅうとはんぱ): 自己反省です。「不徹底」の状態です。広報ができなかった悔しさや、一人では何もできないという無力感の裏側にある、「徹底したい」という願いがあります。crnの目的を次世代に継承しないといけないと故人から叱咤激励された機会でした。