日本大学農獣医学部食品工学科卒。食品メーカー勤務後、家業を継承し平成3年に
おとうふ工房いしかわを設立。年商3000万円だった家業の豆腐屋を20年間で
年商42億円の企業に成長させる。一方で、「高浜市観光協会会長」
「高浜市子ども食育推進協議会会長」「高浜市商工会副会長」などをつとめ、
地域の活動にも力を入れている
◆ 豆腐屋は全国に1万社あり4000億円です。和菓子よりも小さく洋菓子よりも大きい。㈱おとうふ工房いしかわは売上42億ですが全国で13位です。如何に小さいところが多いかがわかるというものです。
◆ 歴史 中国BC400年ころ。劉備将軍がいたころ発明された。モンゴルからの侵攻を防ぐために万里の長城を作った。そのころ中国で大事な動物は羊だった。モンゴルのように強くなりたいと思った。中国でもモンゴルのように強くなりたい。そのためには羊を食べるといいのではないかと思った。それで考えたのが豆腐なんです。白くてブヨブヨしたもの。
化学反応を利用して作ったものです。
韓国を経由して豆腐は入ってきたがその時ににがりというものが加えられて入ってきた。
日本に入ってきたのは奈良時代である。
豆腐を作るのは大豆とにがりがあれば出来る。
大豆を作るのは畑の畦で作っていた。畦豆と言った。
にがりはどこの家でも手に入るものだった。昔は塩は俵で買っていたがそこににがりが入って
いた。昔の塩にはにがりが入っていたので美味しかった。30キロとか60キロ単位で買っていた。
そして味噌や醤油を家で作っていた。1年とか2年かけて使っていた。ここで自家製のにがりが出来た。
沖縄の豆腐は硬いので炒めて食べる。
第二次大戦の時に軍部からにがりの使用禁止になってしまった。それはジュラルミンを作るために
にがりが必要になったからです。にがりでゼロ戦を作ったのです。
当時豆腐はいいけれども納豆は作ってはいけないと云われた。豆腐はおからがですからいい。
そのかわりにがりの代わりに硫酸カルシウムを使いなさいと云われた。水性石灰のこと。それで簡単に豆腐が出来るようになった。昭和25年には豆腐屋が5万軒にも増えた。私が家に帰ってきて豆腐屋を継いだ時に愛知県にはにがりを使った豆腐屋は一軒もなかった。それで国産大豆とにがりを使った豆腐を作る決心をした。
◆ ビデオ ㈱おとうふ工房いしかわを紹介されたテレビ番組を見せていただきました。
◆ おからとは
豆腐 60キロの大豆からおからは80 キロ出来る。
おからはかっては飼料だった。畜産業で使われていたがおからの廃棄量が増えたので
畜産で使えなくなった。それから産業廃棄物になってしまった。
大学時代にこれを使えないかと研究していた。卒業論文でおからの使い道について書いた。
おからを使おうとすればするほど防腐剤の使用が増えるので無理だと思った。
卒業してしばらくしたらおからの用途として猫砂が現れた。
生協との取引において主婦から意見が出てきた。
子供に与えるお菓子をもっと固いものを作ってほしい。
それならおからを入れてお菓子を作ってみようと思った。それで出来たのが「きらず揚げ」。
包丁で切らなくていいから「きらず」と言った。硬いので波型にしたところ食べやすくなった。
女性に受け入れられた。しかし男性のバイヤーには受け入れられなかった。
しかし商品は女性が買うものですね。おからは植物繊維が多くて健康にいいものです。
◆ 新しい商品開発
おからペースト 愛知県からの資金を受けて開発中です。
いろいろなものがペースト状のものから出来てくると思います。
赤ちゃん用 子供用 大人用 に分けて商品開発をしています。
豆腐作りから汁が出る。この汁を使って何か出来ないか?
カルピスさんと研究をしている。
おからが出ない豆腐の研究もしている。
おからが出なくて腐らない豆腐 の研究もしている。
おからの処理には乾燥処理をしているがこのためには熱源が必要です。
その燃料として油揚げを揚げたあとの廃油を再利用することを
東邦ガス株式会社と一緒に研究している。
小麦粉と混ぜてカリッとあげられるものが出来ないか?
大根におからをぬか床にして漬けるとおいしい大根が出来る。
養鰻業でおからを使うといいうなぎが出来る。
美容業界が大豆のイソフラボンに関心を持っている。豆乳ローション。
顔を洗うときれいになる。ムダ毛が減る。
㈱おとうふ工房いしかわではすべて国産大豆を使って商品を作っています。
食品残さを使ってそこからまた食品を作ることによって循環ビジネスを
作っていきたい。
1万社のうちの9800社から出るおからはすべて産業廃棄物として
捨てられています。これがうまく処理出来るようになるといいと思います。
◆ お問い合わせ
㈱おとうふ工房いしかわ
代表取締役 石川 伸様
0566-54-0334
nobu-i*otoufu.co.jp (*を @ にかえて)